トランスランゲージングとは何か。英語教育への文脈化に向けて

2022年10月19日水曜日

キーワード解説

 大修館書店『英語教育』12月号(2022年11月中旬発売)の特集で、トランスランゲージング(translanguaging)について執筆する機会をいただき、日本の英語教育への文脈化を探りながら書きました。

この記事では、誌面では触れることのできなかったトランスランゲージングの詳しい定義、意義について説明します。

トランスランゲージングとは何か


トランスランゲージングの定義付けは、バイリンガル教育の研究者の中でもこれといったコンセンサスがとれておらず、文脈に応じてさまざまな使われ方がされていますが、以下の2つのモデル(Cummins, 2021; García & Kleyn, 2016)が有名どころでしょう。

  1. ストロングモデル=ユニタリー・トランスランゲージング
  2. ウィークモデル=クロスリングイスティック・トランスランゲージング

ストロングモデルは比較的新しいトランスランゲージング理論で、ウィークモデルは初期の理論です。ストロング/ウィークのネーミングについては、「ストロング=良い」「ウィーク=良くない」といったことではなく、このエントリーでも説明の便宜上使用します。

※ストロング/ウィークの分類はGarcía & Kleyn (2016)、ユニタリー/クロスリングイスティックの分類はCummins (2021)によるものです。

ストロングモデル(ユニタリー・トランスランゲージング)

ストロングモデルは近年、北米を中心としたバイリンガル教育において盛んに議論されている理論です。トランスランゲージングは「話者が持つ言語的レパートリーを最大限に使うことGarcía & Kleyn, 2016,  p. 14)を意味し、話者の言語的レパートリーは、「日本語」や「英語」といった枠組みでは決して捉えることのできない、より個人的でダイナミックなものであるとされます。トランスランゲージングは「ideolect(個人語)の使用」(Li, 2018, p. 19) であるされ、社会的、政治的に定義づけられた言語(「日本語」や「英語」など)の観点から個人の言語使用を論じません。

トランスランゲージングのストロングモデルでは、「バイリンガル話者は言語(languages)を話すわけでなく、個人が持つ一つ(ユニタリー)の言語レパートリーの中からさまざまな"features"を選択して話す」という前提があり、「言語」という概念は実態のないものとして否定しています。(人の持つ言語レパートリーは「一つ、ユニタリー」なのだという事実が強調されているのは、次の2つとも関係していると考えます。1) バイリンガル話者は“two monolinguals in one person” ではない(Grosjean, 1989, p. 4) ということ、 2) 複言語主義(plurilingualism)の考え方である「(個人の言語体験は)家庭内の言語から社会全般での言語、それから(学校や大学で学ぶ場合でも、直接的習得にしろ)他の民族の言語へと広がっていくのである。しかしその際、その言語や文化を完全に切り離し、心の中の別々の部屋にしまっておくわけではない」(吉島, 大橋, 2008, p. 4, 下線筆者)ということ)

トランスランゲージング
トランスランゲージング(ストロングモデル)の概念図:García et al. (2017, p. 19)より引用・補足


従来の足し算的なバイリンガリズム(言語はL1とL2というように切り離されている):García et al. (2017, p. 20)より引用

よって、ストロングモデルの理論をもとに英語教育を論じた時、トランスランゲージングは「英語授業における日本語の使用」ではありません。「L2の学習環境でL1を効果的に使うこと」はトランスランゲージングの誤った捉え方だとみなされています(García, 2022)。「言語」や「言語の境界」は実態がないとするのがストロングモデルで、根底にはポストモダニズム・ポスト構造主義的な考え方があります。

ストロングモデルの「言語」概念の否定に関しては、極めて重要な理由があります。「日本語」や「英語」といった言語の枠組みを否定することで、それぞれの言語に付随するイデオロギーを打ち消すことができるからです。言語はけっして無色透明、中立的なものではなく、ある種の権力関係によって支えられたイメージがつきまといます。「国家=言語=人種=文化」という4位一体の関係の中で、「言語」が持つイメージは固定され、差別と排除の構造を支える装置として機能してしまいます(渡邊, 2020)。最近の例で言えば、「2ちゃんねる」で有名なひろゆき氏が「沖縄の人って文法通りしゃべれない」、「綺麗な日本語にならない人が多い」と発言していました。これは、琉球諸語話者に対する認識の低さに加え、「日本語」や「国語」にまつわるイデオロギーの暴力性・排他性を如実に表しています。さらには、日本の英語教育の文脈でも、「指導」という規範主義の蓑に隠れて、「言語」がある種のイデオロギーを纏うこともあります。例えば、御園(2009, p. 55)は、「教える側で発音指導を怠ると、その結果、学習者の発する英語は intelligibility が下り、ことばとしての「品格」が保ちにくくなる。今後英語がリンガ・フランカとして存続するかどうかは我々英語教師に課せられた責務 であると東後氏は述べている。筆者も同感である。」と述べていますが、「言語」の発話行為(発音やアクセント)が品格や品位といった恣意的に作られた価値基準といかに容易に結びついてしまうかを示しているといえます。

「言語」はマイノリティーに抑圧的なイデオロギーを纏い、近代化、植民地化のプロセスの中で大きな役割を果たしました。今でもその影響は依然として残っています(例:白人母語話者の英語の優位性、上記ひろゆき氏の標準語イデオロギーなど)。教育においては「アカデミック・ランゲージ」「標準英語」なども白人性の投影が問題視されています。標準英語から逸脱しているとみなされる話者は、人種やジェンダー、階級などの要素も相まって、差別の対象となることが決して少なくありません。ストロングモデルの「言語」概念の否定は、こうした社会的、構造的不正義に異を唱えるための戦略的なパラダイムシフトであると思います。現に、ストロングモデルの支持者は、トランスランゲージングを政治的な行動、植民地主義の対抗言説として捉えており (Flores, 2014; García, 2022; Li, 2018)、このクリティカルな視点がこのモデルの「ストロング」たる所以です。

ウィークモデル(クロスリングイスティック・トランスランゲージング)

ストロングモデルが「一つ(ユニタリー)の言語レパートリー」を強調し、英語や日本語といった言語の枠組みを否定するのに対し、ウィークモデルは、「言語の複数性・マルチリンガル状況」を認め、言語の枠組みは社会的・心理的にも取り払うことはできないものと考えます。学習においてL1, L2がお互いに作用し合う構造や、会話におけるコードスイッチング(複数の言語を部分的に切り替えながら話す)など、言語複数性、言語の境界の存在を前提として認めた上で論じます。よって、「クロスリングイスティック・トランスランゲージング」(Cummins, 2021)と呼ばれたり、「トランスランゲージングにおけるマルチリンガル的視点」(MacSwan, 2017)と表現されたりしています。

これらのトランスランゲージング理論は、ジム・カミンズの相互依存仮説、共有基底言語能力や「BICS/CALP」概念、コードスイッチング、マルチリテラシーなど、従来のバイリンガル・マルチリンガル教育における理論(additive approach) を援用して論じられることが多いです。つまり、マイノリティの生徒の言語教育における母語使用の重要性を認め、生徒が教室に持ち込む言語的、文化的リソースの肯定・活用を促すという姿勢がトランスランゲージングの捉え方に強く反映されています。

ウィークモデルとされるトランスランゲージングの定義はどのようなものでしょうか。クロスリングイスティック・トランスランゲージングの支持者であるCummins (2021)によれば、「学習者が備えるマルチリンガル・マルチモーダルレパートリーをフレキシブルに動員すること」を意味し、そうすることで、「カリキュラムと生徒の生活を結びつけ、学びの支援(scaffolding)を施し、生徒のアイデンティティーを肯定し、話し言葉・書き言葉のコミュニケーションシステムとして言語がどのように働くかという知識を促進する」ことを目指します (p. 273)。

L1, L2, L3...といったマルチリンガル状況を想定しているので、英語授業における母語の使用はトランスランゲージングの一部であると考えられます。私のケーススタディ(Aoyama, 2020)でも、英語授業における生徒の部分的な日本語の使用をトランスランゲージングとして捉え、L1(日本語)とL2(英語)によるダイナミックな言語使用を論じました。

たしかに、言語使用を論ずる際、「L1」や「日本語」・「英語」という大きなラベルを使うことの問題点は残ります。方言など、個人特有の言語バリエーションは正確に捉えきれなくなり、個人の言語状況の複雑性を無視することにも繋がりかねません。ここがストロングモデルが問題視している大きなポイントです。しかしながら、現実問題、「L1」や「日本語」・「英語」といった概念を否定することは教育的な示唆、有効性がどれほどあるのかという主張も出ています(Cummins, 2021; MacSwan, 2017)。現実問題として、生徒が直面する課題やテストは、従来通りの言語観で作成されています。

ここまで、トランスランゲージングのストロング/ウィークモデルについて解説しましたが、両者に共通して言えるのは、マイノリティの生徒に対する第二言語教育という文脈をまず第一に想定しているという点です。もちろん、さまざまな教育的文脈に応用可能な理論ではありますが、「トランスランゲージングを使った教授法=授業における母語の活用」と単純に言い切れず、英語授業への文脈化の際は、上記で述べたトランスランゲージング理論の定義、教育的意義を踏まえた上での応用が求められると感じます。

<参考文献>

御園和夫(2009). 世界の英語と英語の母音 『関東学院大学文学部 紀要』 117, 37-72.

吉島茂・大橋理枝 (2008). 『外国語教育II– 外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠』

渡邊英理 (2018). 「言葉」三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡 (編)『クリティカル・ワード 文学理論 読み方を学び文学と出会いなおす』(pp.70-97). フィルムアート社

Aoyama, R. (2020). Exploring Japanese high school students’ L1 use in translanguaging in the communicative EFL classroom. TESL-EJ, 23(4), 1–18.

Cummins, J. (2021). Rethinking the education of multilingual learners: A critical analysis of theoretical concepts. Multilingual Matters.

Flores, N. (2014, July 19). Let’s not forget that translanguaging is a political act. The Educational Linguist. https://educationallinguist.wordpress.com/2014/07/19/lets-not-forget-that-translanguaging-is-a-political-act/

García, O. (2019). Decolonizing foreign, second, heritage, and first languages. In D. Macedo (Ed.), Decolonising foreign language education: The misteaching of English and other colonial languages (pp. 152-168). Routledge.

García, O. (2022). Designing New Ownership of English: A Commentary. TESL-EJ, 26(3).

García, O., Johnson, S., & Seltzer, K. (2017). The translanguaging classroom. Leveraging student bilingualism for learning. Caslon.

García, O., & Kleyn, T. (Eds.). (2016). Translanguaging with multilingual students: Learning from classroom moments. Routledge.

Grosjean, F. (1989). Neurolinguists, beware! The bilingual is not two monolinguals in one person. Brain and Language, 36(1), 3–15. 

Li, W. (2018). Translanguaging as a practical theory of language. Applied Linguistics, 39(1), 9-30.

MacSwan, J. (2017). A Multilingual Perspective on Translanguaging. American Educational Research Journal, 54(1), 167–201.

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Ryosuke Aoyama

2007-2021年まで公立高校英語教員。現在はブリティッシュコロンビア大学のTESL博士課程に在籍しています。


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