マルチリテラシーズと未来を作る英語教育。何を、なぜ、どうやって教えるのか?

2021年9月22日水曜日

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この記事では、リテラシー(literacy)、リテラシーズ(literacies)、マルチリテラシーズ(multiliteracies)という考え方と、日本の英語教育におけるマルチリテラシーズについて触れています。

その他のキーワード:World Englishes, マルチモダリティ(multimodality) 

リテラシーとリテラシーズ

リテラシー(literacy)は従来的にリーディング(とライティング)を意味し、スピーキング(とリスニング)であるオーラシー(oracy)と対比されて使われてきました。英語教育でも4技能5領域という区分が便宜的に指導と評価の枠組みとして使われていますが、「そもそもリーディングって何?」ということを深く考えると、リーディングは語彙と文法知識を駆使した認知プロセスによるものだけでなく、内容に関する背景知識、ジャンル(テキストタイプ)の知識、文化的な知識など、読み手の住む世界(社会)に即したあらゆるスキルやリソースが使われていることに気がつきます。

Gee(2015)は、Readは他動詞であり、「読む」は「何を」から切り外すことができないとして、社会的行為としてのリテラシーを論じています。ここでいう「何を」は私たちの社会とも切り外すことができないので、リテラシーというのはまさに生活・社会に則しているということが言えます。

脳みそだけがあってもテキストがなければ「読む」ことはできない。そしてテキストはとても社会的(つまり、テクストは存在する理由があり、それは文脈に依存する)ということでしょうか。

従来的な「頭を使って読み書き=リテラシー」のような考え方は1980年、90年代のNew Literacy Studiesの社会文化的なアプローチによってとって変わります。

この「社会文化的な」リテラシーという概念は抽象的で一見つかみにくい。私たちの住む社会、文化は技術革新や国際化による人々の往来によって変容しつづけています。リテラシーはもはや一つの能力を指す言葉ではなくなってしまいました。

リテラシー「ズ」の誕生です。
(日本語でもリテラシーという言葉の使われ方は多様なものとなっていますね。例:メディアリテラシー、金融リテラシー)

マルチリテラシーズと英語教育

リテラシーの複数性は「マルチリテラシーズ」という語で議論されていますが、A Pedagogy of Multiliteracies: Designing Social Futuresでマルチリテラシーズ教育のあり方を提案したNew London Group (1996)が有名です。

簡単に言えば、マルチリテラシーズ教育は2つの「マルチ(多様性)」に注目しています。


  1. 文化的・言語的多様性=マルチリンガリズム
  2. IT、マルチメディア技術がもたらすテキストタイプの多様性=マルチモダリティ

1と2は相互関係にあり、現在の状況をみても、補完的・加速度的に多様性が増していく様相を呈しています。

さて、マルチリテラシーズ教育でとても重要なのが、「なぜ」マルチリテラシーズなのか、ということだと思います。従来型の「読む(書く)」という技能のみにフォーカスしたリテラシー(「単なる」リテラシーとCazden et al (1996)は呼びます)は、規範的な英語、ルールやシステムの習得に執着しがちです。そして、そのような教授は「上から下」の権威的教授に収束してしまいます。ここで考えなければいけないのは、上記1・2が現実問題として生徒の生活に存在する中、そこでいう規範やルールとは何なのか、どれほど役に立つのかということではないでしょうか。少なくとも、生徒はこの問題に気がついていないといけないのではないでしょうか(差し迫った未来にあるテストや入試との折り合いも含め)。「上から下」の教育は、はたして変わりゆく社会で必要となるリテラシーズを育んでいけるのでしょうか。

「単なる」リテラシー教育では、英語(言葉)は再生産(上から下のリプロダクション)のプロセスです。再生産のため、スキルや能力を育むことが目標となります。一方、マルチリテラシーズ教育では、英語(言葉)は「変容」のプロセスとして捉えられます (Cope & Kalantzis, 2009)。ここにマルチリテラシーズ教育のコアがあります。マルチリテラシーズ教育では変容の主体性に重きを置いており、「生産的で、関連性があり、革新的、ときに解放的な教授」(p. 175) を求めます。そして、核となる目標は、生徒が、自分を肯定的に捉えられる、主体性を持つ、自分とは異なる他者と協同できる、変容や革新と向き合えるようになることです。

少し議論が抽象的になってしまいましたが、マルチリテラシーズの理念は、もしかしたら文部科学省の「生きる力」、さらには、新学習指導要領の「社会に開かれた教育課程」とつながるところがあるかもしれません。

理念はいいが、実際教室で何ができるのか?という内なる声が聞こえます。(もちろん、大きな理念や教育哲学が極めて重要なのは言うまでもありません。現在の英語教育はメソッドばかりに傾倒して、大きな理念なき教授、大義無き教授が少なくなっているのではと感じることも...?)

マルチリテラシーズ教育が目指す「生産的で、関連性があり、革新的、ときに解放的」な英語教育。教室ではどんなことができるのでしょうか。

マルチリテラシーズを教室で

マルチリテラシーズ教育のあり方、教室で何ができるかは、教師、生徒が置かれている環境に依存することは言うまでもありません。その環境(社会)こそがマルチリテラシーズを考える上で大事なのですから、教室で何をするかは教師が生徒の置かれている社会を振り返りながら、時には生徒とともにデザインしていくことになります。

もっといえば、「教師側が想定する能力・目標」という単一のものから「個々の学習者一人一人が想定する能力」というマルチ(複数)性を重視しなければいけないと川上は言っています(佐々木ほか 2007, p. 194)。とはいえ、なかなか一クラス40人の英語授業で常に個々のニーズを優先してdifferentiated instructionのような授業を行うのは難しいので、現実的には、生徒との関係を築きながら、教師が生徒/自分の属する、これから属しうる社会に関連する必要な能力を見極めながらやっていくことになるでしょうか。

しかしながら、マルチリテラシーズの基本的な指針は先に示した通り、2つのマルチ状況、つまり、言語の複数性とコミュニケーションモードの複数性です。この二つを考えて、何ができるのか。何をした方が良いのか。以下、例になります。

①言語の複数性に注目する

「World Englishes: 世界の英語の使用状況についての理解を深める」

英語は国際共通語として使われている覇権言語ですが、ひとくちに英語といっても一枚岩でなく、非常に多様です。学校で教科として英語に触れていると、規範としての英語(標準アメリカ英語)ばかり刷り込まれてしまい、実際に使われている多様な言語使用状況に目を向ける機会が少ない。英語の「方言」や種類についての授業をした時、感想で「アメリカ人はみんな同じように英語を話すと思っていたので驚いた」と言っていた高校生もいました。

また、英語ユーザーは英語を母語としない「ノンネイティブスピーカー」の方が数的に多いということも念頭におき、世界で使われている多様な英語使用について触れる機会をカリキュラムの中に埋め込む必要があるのではないでしょうか。

そして、その延長線上には、① 多様な英語話者(自分も含め)を尊重する態度を養う (「ネイティブ」らしくない英語に対して否定的に捉えないことなど)②「正しい」英語への問いと英語コミュニケーションの本質についての議論 ③コミュニケーション・ストラテジーの学習(英語によるコミュニケーションがうまくいかなかった時にどう対処するか)など、将来の英語使用場面で必要となる様々なポイントに触れるチャンスがあるのではないでしょうか。

②コミュニケーションモードの複数性に注目する

「絵・写真・図・記号・文字(絵文字)を使ったスライドによるプレゼンテーション」

いたって普通のプレゼンテーション活動(発表)ですが、指導と評価の観点に一工夫を加えれば、これから必要となるリテラシーズ獲得の助けになるラーニングポイントを作ることができると思います。指導のポイントですが、

  • スライドにどのように文字を配置するか(文なのか、単語なのか、絵文字なのか、フォント(種類・大きさによる効果)はどうするか、配色はどうするかなど)
  • (なぜ)見出しを使うのか、使わないのか
  • どのように(なぜ)絵・写真・図・記号を配置するか(口頭で説明することとのつながり)
  • (なぜ)アニメーションを使うのか、使わないのか
  • 発表時、スライドに書いていない文字情報をどのように口頭で伝えるか
  • 発表時、表情、姿勢やジェスチャーにどう気を配るか

さらに言えば、スライド作成におけるユニバーサルデザイン、ピクトグラム、文化的に誤解されやすいジェスチャー(人種差別的なものも含め。全ての生徒がこのようなことを知っているわけではない)、フィラー、立ち位置や座り位置(空間の使い方)についても明示的に触れることができるかもしれません。言語面では、伝えたい文をどのように分かりやすく提示するか(名詞句への変換、主語を省略して箇条書きなど)なども適度な支援が必要となることかもしれません。

他にもたくさんの指導・学びのポイントがあるでしょう。指導といっても、教師が先回りしてポイントを押さえるのではなく、生徒たち自身が考えて、議論して、どうしたら「伝えたいことが思うように伝わるプレゼンテーション、文字と音声だけのプレゼンテーションよりずっと豊かで心に残るようなプレゼンテーションになっているか。」ということに取り組むその過程こそが鍵なのだと思います。色々なコミュニケーションモードを使って表現する力は、今後ますます必要なリテラシーになっていくのではないでしょうか。(SNSでの画像や動画作成などに慣れている生徒の方が教員よりリテラシーがあるかも...?) 

以上、簡単ではありますが、マルチリテラシーズと英語教育についてのお話をお届けしました。

<参考文献>

Cazden, C., Cope, B., Fairclough, N., Gee, J., Kalantzis, M., Kress, G., Luke, A., Luke, C., Michaels, S., & Nakata, N. (1996). A pedagogy of multiliteracies: Designing social futures. Harvard Educational Review, 66(1), 148–162.

Cope, B., & Kalantzis, M. (2009). “Multiliteracies”: New Literacies, New Learning. In Pedagogies: An International Journal (Vol. 4, Issue 3). https://doi.org/10.1080/15544800903076044

Gee, J. P. (2015). Social linguistics and literacies: Ideology in discourses (Fifth ed.). Routledge, Taylor & Francis Group.

佐々木倫子・細川英雄・砂川裕一・川上郁雄・門倉正美・牲川波都季編 (2007)『変貌する言語教育-多言語・多文化社会のリテラシーズとは何か』くろしお出版  

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Ryosuke Aoyama

2007-2021年まで公立高校英語教員。現在はブリティッシュコロンビア大学のTESL博士課程に在籍しています。


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